欧米スタイルだった欧州航路太平洋戦争前、日本のように四面を海で囲まれている国では、海外へ行くには船を利用するしかなかった。日本人が欧州や米国へ行くためには欧州航路の客船、太平洋航路の客船で乗ったのである。政治家、外交官、軍人などが日本郵船の欧州航路の客船に乗って欧州へ向かう。横浜を出て香港、マニラ、シンガポールなどに寄港、さらにマラッカ海峡を通ってインド洋に出る。コロンボ、ボンベイなどに寄ってスエ
海外へ行くには船を利用する... の続きを読む
ホテルの中には、フランス料理レストランを設けずに鉄板焼を導入するところも現われたのである。二〇〇六年には、鉄板焼の技術向上を目的にした日本鉄板焼協会が正式に発足している。では、鉄板焼はなぜ、人気を獲得し、定着するようになったのだろうか。鉄板焼は、日本人にとってみると、フランス料理のような堅苦しさを感じない業態である。しかも、魚介類や肉類、野菜と、さまざまな食材をたっぷり味わうことができる。目の前で
鉄板焼を導入するところも現われた... の続きを読む
「祇園丸山」は祇園店、建仁寺店ともに、相変わらずの活況を呈していて、その人気ぶりは健在である。これは「割烹吉膳」や「割烹千ひろ」も同じで、地道に着実に進歩を遂げつつも少しずつ新たな試みも加えている。「祇園ささ木」は平成一八年の一〇月一日に、店を建仁寺近くの祇園町南側に移した。まだ訪れていないが、少し店も広くなるようなので、予約は比較的取りやすくなるかも知れない。洛北・岩倉の「河玄」も変わらぬ人気ぶ
名店、その後の消息... の続きを読む
四条通り、花見小路と縄手通りのちょうど真ん中辺り、一本の細い路地があり、切り通しと呼ばれている。車一台がやっと通れるほどの細い道ではあるが、ここには京都を代表する名店が犇めいていて、例えば、××なる一見さんお断りのおでん屋さんがあり、夜には歌舞伎役者をはじめとする著名人の溜まり場と化し、最低でも一人二万円は下らないという、一般庶民には縁遠い存在なるも、昼には一見であっても、誰もが食べられるおでん定
いつでも誰でも、出入りが絶えない店... の続きを読む
ホテル西洋銀座で支配人は、いま、ある悩みを抱えている。最近とみに忙しくなり、大好きなジム通いの時間が思うように取れないのだ。なぜ、急に忙しくなったのか。それは同ホテルが二〇〇〇年から続けてきたローズウッドホテルズ&リブーツ(米国)との運営委託契約を○九年末で完了させ、経営会社である東京テアトルグループ直営のホテルとして再発足したからである。そして、それに合わせて、社歴二〇年、四三歳(当時)の支配人
ホテル西洋銀座スタッフの出世を顧客が喜ぶ理由... の続きを読む
実は自転車を扱う技術にも同じような面があって、ベテランになるほど、発進や停止の動作は着実にゆっくり、スムースに行なうという側面がある。低速走行でもふらつかず、安定している。それはともかくとしても、「スロー」や「ゆっくり」には、見かけ以上の深遠なものが隠されていると私は思っている。一種の神秘と言っていい。私みたいな凡人の心臓の心拍数は1分間に60回くらいだが、ツール−ド−フランスを繰り返し制するよう
「ゆっくり」に隠された新しい世界... の続きを読む
私が初めて海外旅行に行ったのはまだ10代のころ。行先はグアムでした。英会話学校のクラスメイトと一緒に旅行の計画を立てたのですが、その友だちがグアムを希望したからです。私は韓国を希望していたのですが、初めての海外旅行は英語圏がいいという意見に納得して、グアムという場所がどんな場所かはよくわからずに了解しました。でも行ってみてやっぱりあの海の青さには感動しました。地元の若い子たちと仲良くなって、シュノ
初めての海外旅行はグアム... の続きを読む
先日、父親がめでたく還暦を迎えました。家族でお祝いしようと、久しぶりに家族揃って旅行に行きました。行き先は、奈良です。なぜ奈良なのかというと、父は、60歳になるまで、奈良の大仏を見たことがなかったのでした。東大寺大仏殿にでんと構える大仏様は圧巻でした。昔の人ってすごいなと改めて思いました。帰宅してから色々調べてみると、200万人以上の人が工事に携わったそうです。大仏殿の中には、大仏様の鼻と同じ大き
父親の還暦祝いで家族旅行... の続きを読む
母親がよくポーポーをおやつとして作っていたのは、材料となる小麦粉やアンダンスー、黒糖は保存がきき、いつでも家にあったことと、作り方が簡単だったからである。母親が忙しいときや留守のとき、小学生のボクでも見よう見まねで作ったものである。作り方が簡単なポーポーやチンピンではあるが、味は家庭によって微妙に違っていた。今から15年ぐらい前まで、那覇の国際通り沿いにあったデパート『山形屋』の裏に『ポーポー屋』
母親がよくポーポーをおやつとして作っていた... の続きを読む